本文へスキップ
観光案内板
郷土の伝承 吉祥寺

雨乞い信仰と蛇池
 曹洞宗円通山吉祥寺は、今から五百年前、立山大徹禅師十哲の一人、越山本宗禅師が開祖した越叟寺が始まりである。その頃の呉羽山西麓では大蛇が棲み、田畑を荒らしたり人や家畜を呑みこむなど大変住民を苦しめていた。住民は大蛇が出ると太鼓を鳴らし難を逃れていたが不安が募るばかりでどうにもならず、時の領主、佐々成政に大蛇の退治を願い出た。ところが大蛇は神出鬼没で何々退洽されず、住民達は集まって話し合った。
 この上は仏様に頼る以外ないと時の名僧、越山本宗禅師(越叟寺三世)に退治を懇願した。禅師は住民の苦しみを察し早速、大蛇が棲む池に赴き読経祈願された。
 「すると一転、俄に空は曇り雷鳴と共に猛雨が沛然と降り注いだ。その時『喝』鋭い禅師の一声が発せられ、拂子が振られた。やがて辺りは雷鳴が止み黒雲も消え、蛇池の上に巨大な大蛇の蛇骨が現れていた。」
 住町は大変喜び越山本宗禅師に帰依し、蛇池の周りに堂宇を建し蛇骨を祀った。そして寺名を越叟寺から吉祥寺に改称した。
 蛇骨は、吉祥寺の宝物として現在まで保存され住民の雨乞い信仰とでて奉信されている。また蛇池も本堂裏に昔のままの姿で残されている。

秋葉三尺大権現の火祭り
 富山藩前田藩主は大の相撲好きで、太閤山の相撲場へ度々出向き藩士と相撲を取っていた。ある日、太閤山からの帰り道、夜遅く吉祥寺の裏、鞍逢坂にさしかかったところ藩主の籠の前に僅か身の丈三尺の小男が立ちはだかり籠を止めた。藩主は「なぜ籠を止める」と質すと小男は、「ここで相撲を取り自分を負かしたら通ってもよい」と威風堂々と答えた。力自慢の藩主は、小男をねじ伏せようと四つに組んだが、押しても引いても動かず挙句に草はらに投げっけられた。負けたことがない藩主は「おまえは何者だ」と問うと「我こそは吉祥寺の秋葉大権現である」と云って小男が消え去った。
 不思議に思った藩主は、吉祥寺に立ち寄り秋葉大権現の所在を確かめた。祀られている秋葉大権現を見て藩主は、ふだん力自慢をしている自分の慢心ぶりを戒められたと深く反省をし、秋葉大権現に帰依して富山藩の家紋である梅鉢の紋と好きなだけの土地を与えることを約束した。
 早速、利巧な寺男の即拳爺さんが荷縄を手に寺を中心に一周り境界を決めた。藩主はその境界通り約三万坪余りの土地を寺領として授けた。
 現在寺山に片手に縄を持つ寺男、即拳爺の石像が安置されており、享保4年(1719)の年号が刻まれている。
 爾来、部落住民は、秋葉大権現に対する信仰が篤く、毎年2月28日を秋葉講火祭りの日として部落住民の世話で祈祷法要が厳粛に営まれている。 
  呉羽山観光協会

補注:鞍逢坂は鞍骨坂(くらほねさか)

 
【地図】