この神社は、天照大神と豊受大神を祀っており創建された年代が明らかでなく、もと住吉神社と言われた。富山県の歴史的伝承が記録された「肯構泉達録」によると次の話が残っている。
11代垂仁天皇の頃、越の国に阿彦と言う大変乱暴な者が居て高慢にして人の上に立つことを好み、しだいに驕り自らを阿彦国主と名乗って法制禁令を出し人々を服従させていた。
また越後に嫁いでいた阿彦の姉(支那夜叉と異命を持つ女)が夫殺害の企てから離縁され支那太郎と呼ぶ子供(猪熊を徒捕する力量まれなる子ども)を連れて阿彦の家に住みっき、悪行の種々を勧めた。
阿彦は人々の財宝を奪い、人妻を盗み、そして田畑を荒らし、これを防ごうとする者を殺害した。人々は恐れ四方へ逃げ散っていた。
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