堂字内に安置されいるニ体の石仏は実は地蔵尊ではなく右は大日如来像、左は阿弥陀如来坐像で、ともに14世紀末から15世紀にかけての室町時代に作られたものである。
このニ体の石仏は、昭和18年まで通称 午の面といわれる隣地の山頂にあり、オコリ(間欠的に高熱を発し強い寒けとふるえを伴う病気、マラリヤ性の熱病)落としの地蔵尊として近辺の人々の信仰な集めていた。
大東亜戦争(第二次世界大戦)の勃発に伴い軍需工場(東亜特殊製鋼、後に東和産業となる)設立のため同地一帯が開発されるや、山頂にあった地蔵尊はもとより工事により出土Lた五輪塔の火輪などもいっしょに現在地に移された。
戦後、工場跡地は宅地造成が進みすっかり様変りしたが、その間地蔵尊のことは人々から忘れ去られ、風雨にさらされて汚泥がこびりつき、一部は欠損するという状態であった。
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